あるホステルの運営会議で、震災時のホステルの役割について、運営会社に質問してみた。応えは、被災してもホステルを運営できることを第1の条件に挙げた。営業を続けるという意味であった。少し温度差を感じた。
必ず大きな震災は訪れる。震災が起きてから仮設住宅を建設する。その繰り返しである。行政もこの時ばかりと、遅々として進まなかった都市計画を見直しそれを盾に勝手な建設を規制する。
震災が起きることはわかっている。誰もがわかっている(だろう)。起きてほしくはない気持ちもわかる。そう信じたいがそうはならない。自然の摂理だから。十分な備えはできないかもしれないが、何かできる、何かしておかないといけない、と自分の中がざわめく。
きっかけは、所属する経営者の団体で、被災後の経営状態を調査された経営学者の勉強会出会った。いかに従業員を解雇しないで会社を存続させるか。阪神・淡路、東日本の2つの大震災を教訓に、東京で何ができるかであった。その教授から、「あなたは建築に携わるから震災が起きるとビジネスチャンスですね。」と言われ、「とんでもない、いかに震災に備えるかの方が大事です。」と応えた。その時まで2つの震災のことは忘れていた。恥ずかしい。今は普段通りに生活をしているが、あの時のことを思い出す、あの時の映像が頭をよぎる。実際に被災地に赴いた人の話は、ニュースにできない悲惨な事、信じられない事が起きていた。
行政に明るい同胞の不動産屋から、もし東京は震災で起きると、ある場所から火災が同時に発生し、今の消防では同時火災には対応できず手に負えない。耐火建築物でなければ、焼け落ちるか、延焼を防ぐため打ち壊しするしかないそうだ。
ならば建築家として何ができるか。震災を建設の好機とする者もいるが、震災前に何ができるか、どんな備えができるかを考える。
予め常設の仮設住宅を作ることや、空き団地をそれに充てる方法もあるかもしれない。でもそれは他の人に任せ、自分の周りでできることを改めて考えてみる。もし被災すれば観光客は減る、宿泊施設は空く。大きなホテルは非常時の対応も準備されているだろう。しかし、小規模なホステルはどうだろう? 被災者は体育館などの一時避難場所での生活にストレスがたまる。震災当時の神戸では地元の組員が率先してボランティア活動をしていた事も聞いた。そこで、文頭の質問に至った。「自分達に何ができるのか!」と。それが「ビジネスが第1です」ではホステルの名折れである。ホステルはHostとHotelが組み合わされた言葉であり、Hotelはもともと旅行者に手厚くもてなす所であった。Hospitalと同じ語源である。
ならばホステルも一時避難場所として被災者を手厚くもてなすことはできないだろうか。耐震性・耐火性・備蓄・交通利便性など備えた施設であれば、一時避難場所の公共施設を補完する施設に成り得るのではないか、ホステルにもできることを地域住民や企業と行政と今からでも協議してはどうか。